好きこそ金の分け目なれ

「好きなことで、生きていく」という生き方があります。十年前くらいでしょうか。よく聞いた言葉です。

あれができるのは大まかに分けて、自分の好きと市場の好きが合致している人、その分野において才能のあった人、結果に価値を見出せる人の3通りに収まっていくはずです。
努力をしているだとか、やることをやっている、というのは前提としての話になります。
そして、僕はこのどれにも当てはまらないのでした。

自分の好きと市場の好きが合致している人というのは、商業的価値を意識せずとも、市場のそれとぴったり重なっているので、好きで続けているうちにお金が生まれていきます。

次に、才能のある人です。
この人は、好きなことに価値を創り出せる人です。元々そういうものにお金を払わない人たちが、この人の才能によって価値を感じるようになっていきます。つまり、自力で金になるものを創り出していけるのです。
基本的にこの人らが切り開いてきた道を、自分の好きと市場の好きが合致している人たちが後追いしていく流れになります。

そして、結果に価値を見出せる人。こういう人は結果こそが本当に好きなものになります。
過程よりもお金を稼げること、誰かのためになっていること、成功して認められることに生きがいを感じることができるのです。ですから、過程に多少の改変を入れたとしても「好きなことで、生きていく」を実現できるのです。

ここから漏れる人たちというのは、商業的価値の乏しい分野を好み、そこにおいて才能もそこそこに、過程を譲れない人たちです。もしくは、好きを見誤った人たちです。

このどちらの人も、好きと金は区別して生きていかなくてはなりません。

そして、この人たちは仕事の方を好きになってはいけないのです。
それで、先の3通りにあてはまれば良いのですが、そうでなかった場合はまた別に金を作る手段を用意せねばなりません。
目的として、好きより金が優先されているうちはまだ大丈夫です。しかし、本当に好きになってしまえば、たちまち食えなくなっていくのです。

僕は仕事として、風止場を作りました。僕が好きなことでは金を作れないことが明らかになって、何で食うか考えました。考えた結果、好きなことと誰かを繋ぐ役割なら、やれると思ったのです。「好きなことで、生きていく」ことを捨てて、妥協での仕事が風止場の始まりなわけです。

僕はこうして、文章に風を留めるということをしています。書き物が好きだというわけではありません。苦にもなりませんが、それに人生を捧げてもいいという気もしません。
僕は、風が好きなのです。世界のどこかで、誰かから吹いてきた風が、好きなのです。

これが今、楽しいのです。
好きになりすぎないように、上手く続けていけたらと思っています。

漂流ノート#3収録

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