もしも、僕が二人いたらどうなるだろう。
こういうありふれた問いは、誰にでも起こりうるものだと思います。
一緒にゲームをして笑い合ったり、好きなおやつを取り合って喧嘩してしまったり。仲良くなれるか、ぶつかってしまうか。みなさんはどちらに転ぶと思いますか。
実は、僕にはいるのです。
そういう物理的な存在ではないのですが、頭の中に“ぼくのぶんしん”がいるのです。
彼はとても精密な、僕の仮想クローンです。
僕が意思決定をするための条件を完璧に記録しています。何を重要視していて、何を避ける選択を取るのか。この論理が組み込まれているのです。
彼は、僕にとっての自然な選択を提案し続けます。欲やプライドのような、いっときの人間的な要素に振り回されることなく、ただ僕の論理に則って発言するのです。
僕が生み出した、僕のための存在です。
基本的に僕は彼とぶつかることなく、意見が一致します。自分と全く同じ思考経路のクローンだから、なんとなくそれは当たり前な気もします。
それでも時々、食い違いが出てくることがあるのです。
例えばですが、仲のいい誰かと休憩をしていて、その人がグラスを倒して割ってしまいます。
それで僕は、ため息をつき、呆れてしまいます。注意が足らない、と不満をこぼしてしまうのです。そうしていると、“ぼくのぶんしん”がちょっと待ったをかけてくるのです。
「笑い話にしようよ」と。
普段の僕なら、わざとじゃないし仕方がない、と許せていたはずの出来事。昨日、嫌なことがあって鬱憤が溜まっていたのではないか。それを晴らしたかっただけではないか。目的が先行して、その主張を通すためだけの体のいい説明を考えてはいないか。
彼の声を聞くと、目を背けていたかもしれない心が見えてくるのです。
僕が彼の声に耳を傾けるときとは、親密な関係にある人と話しているときです。
職場や学校には、共通認識としての規則があります。
はじめから位置関係や役割が与えられていて、この前提を各々が演じていくことで人間関係を構築していきます。頭の中の声を聞かずとも、それに従えばよいのです。
しかし、個人間での付き合いになるとこの前提が無くなってしまいます。
社会的な規範や常識、文化など、無意識に入り込んでくるそれらでさえ、二人の間にどう持ち込むかかは二人が決められるのです。
僕の選択と相手の選択が合致しなかったとき、前提の代わりに、互いの選択の根拠を照らし合います。なぜその結論が出たのかという論理を赤裸々に交わし、重なり合う部分と相反する部分を見つけようと試みるのです。そうして擦り合わせの作業を繰り返していくことで、二人にとっての規則を作り上げていくのです。
より二人に適した規則を形成していくためには、なるべくありのままの自分で対話に臨まなくてはなりません。そこに捻れや曖昧さが残った分だけ、二人の正しい関係からは遠のいていくのです。
だからこそ、“ぼくのぶんしん”を呼び出して、僕は僕の意見を述べられているのかを確認するのです。
みなさんの頭の中からは、どんな声が聞こえてきますか。
その声は、どんな言葉を囁きますか。
僕は純粋な主観を確信するために、完璧な客観を心掛けています。
そんな心から、“ぼくのぶんしん”は生まれました。
漂流ノート#3収録
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