人には二種類あって、それは幸せの中に生きる人と、悲しみの中に生きる人です。
実際そこに大した差はなくて、それぞれの目には違うように光が映るのだということだと思います。満月を見て喜べる人もいれば、そうでない人もいるようにです。
あるとき、誰かが僕の幸せを壊してから、僕にとって悲しみは生きるための光となりました。一人きりの夜に、優しく輝いていました。
危うさを感じるほど綺麗な月の代わりに、星を目印に今日まで歩いてきました。
それでもたまに月を見上げてしまうと、まるで狼男のように、僕は化けてしまいそうになります。
化け物とは、醜いものでしょうか。恐ろしいものでしょうか。凄まじいものでしょうか。
どんな化け物になるのか、その結末は誰かが決めてくれるのでしょう。それより、超人的な姿へ化けるというその瞬間にこそ、僕はもっと価値があると考えています。
一体なにがあれば、人は人を超えていけるのでしょうか。
はじめに書いたとおり人には二種類ありまして、そのどちらもが常々、蓋をしているものがあるはずです。蓋というにはあまりにも透けていて、予感せざるを得ないもの。そして、触れようとするには末恐ろしいもの。ただ、いやに惹きつけられるものです。
この遮りを取り払い、中身を覗く瞬間、人の心に覚悟が生まれるのです。
覚悟を決めて、無意識に目を背けてきたその“幸せ”や“悲しみ”と対面したとき、人は人のままではいられなくなるのです。
これが、化けるということなのではないでしょうか。
そうだとすると、化け物とは元々そうであるわけではなくて、誰でもきっかけさえあれば化け得るのだと分かります。さらに言えば、誰だって心の中には化け物が隠されているのだとも言えます。
化けるか、化けないかの違いしか、そこにはなかったのです。
今でも僕は、月を見上げてしまうことがあります。そうして、胸のざわつきを確かめたりするのです。
息を吹き込む