オレンジスパイニクラブが選んだ生活|『東京の空』

今から8年ほど前になりますが、急激にバズった楽曲があります。
オレンジスパイニクラブの『キンモクセイ』です。

僕はこの一曲を一人で楽しんでいたのですが、美味しそうな料理を前に、急速にウジが湧いて食い尽くされてしまったような、呆然とした感覚を覚えています。

それから約1年後、彼らは『イラつくときはいつだって』というアルバムをリリースしました。
全7曲のうち、トップバッターに『キンモクセイ』の名前がありました。

きっとほとんどの人が期待していたであろう曲を最初に聴かせてしまったのは、このアルバム内の楽曲の全てを対等に扱うような印象を受けました。そして、実際にあの7曲はどれをとっても鮮烈に、オレンジスパイニクラブというバンドの衝撃を放っていました。

アルバムの中で最も注目が集まるこの始まりに続いたのが、『東京の空』でした。
これはいわば、彼らの自己紹介のように受け取ることができました。「これが僕たちです。この魅力をもっと知りたければ、次に進んでください。」という強気な案内に感じましたし、それほど惹きつけられるものがありました。

今日は、この『東京の空』について書かせていただきます。

冒頭、バッキングギターの歪んだ音が鳴らされて、ブレイクから歩幅を合わせるようにバンドが動き始めます。非常にスムーズに、再生を止める余地もなく歌詞が飛び込んできます。

走り出した楽器の流れにひょいと乗り込むように、実に軽快でノリの良いボーカルが入ってきます。この一体感に、僕らリスナーも巻き込まれるように聞き込んでしまいます。

語感のよさが優って、初見で何を言っているのか聞き取れた人はほとんどいなかったのではないかと思います。まず口ずさんでしまいそうな、そんなAメロになっています。
それでも、「隠し事」や「隙間をくぐり抜ける」という言葉が並べられており、なんとなく鬱屈した心情が流れ込んできます。

バイト主軸の変わらない生活、「破廉恥ノリ」が漂う人間関係、気づいてしまった「隠し事」。屋上でイヤホンを付けて自分の世界に浸ろうとしても、こういった事情たちが雨音のようにノイズとなり、邪魔をするのです。
都市がぶら下がって見えるほど、重く垂れ込んだ土砂降りの空の下。何とか隙間を見つけて、今日も進んでいくような生活を感じます。

窮屈に感じる周りに対して、迎合することもできません。
そんな中で視線を向けたのは、「切れかけた青春の緒」でした。「緒」というのは紐であり、何かのきっかけや始まりといった意味合いもあります。既に一度諦めている、もしくは諦めかけている青春的な要素を、もう一度始めようというのでしょう。
それを結びつけるのは、「濡れた天井」です。
逃れたいと思っていたそこに入り込んでいく、というよりは、新しく自分の居場所を作り出すような、そんな行動であったわけです。

雨雲を切り開く日差しのように、サビメロが流れ込んできます。
やはり、青春は果たされていなかったのです。
過去記事の『蛹の青春』で僕が考えていたのは、青春を経過して大人になる、ということでした。まさにこれは、青春未遂のまま「大人になれず」に、年齢だけ重ねてしまった人の歌だったのです。
そして今一度、それと向き合っているわけですが、今度は強すぎる日差しにやられてしまいます。その熱が生み出した、「陽炎に揺れて」しまうのです。試行錯誤というよりは、もっと無力感を伴った迷いのような、そんな揺れに涙を飲むわけです。

「せめて逃げ場のない空虚な生活の片隅では自分らしくいたい」

ノンストップで垂れ流されてきた、じめじめとした鬱屈はこの一文でまとめられます。
どこへ行こうにも中身なんてない生活が待っているのみなのです。しかし、そこから逃げようとしてみたところで、僕らは大人になれないまま取り残されてしまうのです。そうであれば、何かを変えるとかいうことでなくても、ただ自分だけのスペースを確保できるように。そんなささやかな、諦めと願いが混じり合った感情を歌っているのでした。

今回は1番に絞って、その生活の風景と選択を取り上げました。
もし興味があれば、続きも聴いてみてください。

彼らが何を諦めて、何を求めていたのか。
そこに見つかるはずです。

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