峯田和伸を中心に、紆余曲折ありながら現在も活動中のバンド、「銀杏BOYZ」。
やはり魅力といえば、その力強いパフォーマンスにあるのだと思いますが、今回はそこに隠された繊細な純情について触れてみたいと思います。
僕が「銀杏BOYZ」を知るきっかけとなった曲、『駆け抜けて性春』。それから、今でも口ずさんでしまう『援助交際』の2曲を取り挙げてみます。
共通して言えることは“僕”が、とある女の子のことを「死ぬほど大好き」で、その娘のためなら「死んでも構わない」と歌っていることです。
銀杏BOYZを聴いたことがある方なら分かると思いますが、本当に文字通りの意味でそう言っているのだと感じさせる気迫があります。
大好きで愛したいという、生に積極的なように見受けられる衝動。しかしその衝動には枕詞のように、「死ぬほど」や、「死んでも」という言葉が付き纏います。“死”へと突っ走っていくような危うさが感じられるのです。
恋愛という最も身近なテーマに、思春期の少年が抱く性への渇望、そして脆弱性と反骨心の二面性が内包されています。
以前の僕の投稿に、『熱に病む人々』というのがあります。“熱”がなければ人は世界に居場所を見つけられず、やがて死んでしまうというようなことを書きました。
銀杏BOYZにおける“僕”にとって、その娘が“熱”の対象なのではないでしょうか。そのため、援助交際という悲しい事実を突きつけられたとき、“熱”は引き、「世界が滅びてしまう」のではないでしょうか。そんな悲しい事実を知らずに、「夢の中にいる」“わたし”に触れてしまえば、たちまち「消えてしまう」のでしょう。
銀杏BOYZが歌う“僕”にとって、“あの娘”や“わたし”こそが生きる価値のすべてであり、それは“世界”そのものであるわけです。
話は戻って、銀杏BOYZには先ほどの2曲のように、“性”についてをテーマとした歌が多数あります。そしてその多くが、思春期の衝動的な“性”についてです。
これはほとんどの人に経験がある、しかし、非常に扱いにくいテーマです。なぜなら、一歩間違えれば単なる下品な若輩の叫びになりかねないからです。
しかし、不純な若者たちの“性”を歌うにあたって、銀杏BOYZは非常に繊細にその品位を落とすことがありません。これは彼らが歌う不純が、純情によるものだからだと考えます。
先に挙げた2曲において、少年が抱く想いとは「あなたのために」、「幸せにするためだけに」など、ただひたすらに相手を思いやる感情です。『援助交際』という、世界を壊しかねない事実を突き付けられた際も、少年には悲しさだけが残ります。そこに怒りや妬み、蔑みのようなものは見受けられません。たしかにこれは性欲、承認欲、独占欲などの欲求を含まない、純情のみで成立する“愛”のようです。
しかし、実際には少年にも不純さが秘められているはずです。最終的にはやはり、性衝動に繋がるのですから。
未だ不埒な世界をよく知らない、稚拙な思考回路。その未熟さによって少年の純情による不純情が成立するのです。
これが、銀杏BOYZを世俗に陥らせない仕組みなのだと思います。
『援助交際』では、「僕の愛がどうか届きますように」と愛を願いますが、そんな僕に対して「眠れない夜を優しく包む恋のメロディ」が流れます。少年がひたすら抱いていた“愛”は何処かへ行ってしまい、一人きり“恋”に浸るのです。
なぜこの転換が起きるのか。そのタイミングに注目してみると、「抱きしめる」という行為が契機となっているようです。
それは先ほど述べた、“世界のすべて”を崩壊させる危険な行為です。まだ思春期で淫らな世界をよく知らない状態であるからこそ、保たれていた純情です。その淫らな世界に触れることで不純を発見し、不純を自覚してしまうのでしょう。「まぼろし」が消えたとき、それは少年が自らに潜在する不純さを知るときです。そして、その不純情によって初めて、“愛”のようなものは“恋”として姿を見せるのです。
少年の純情による“愛”のようなもの。
それは“恋”となっていくもの。
そんな瞬間を、銀杏BOYZは歌っているのでしょう。
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