精神に異常をきたしたあの子の目が見れません

大人になると、はたまた、今となってみては、人との付き合いがまるでありません。
無尽蔵な登場人物の渦中にあった学生生活が懐かしくなります。もう僕が好き勝手にどこへ行こうとも、関わり合いになるような人物はほとんど出てこないのです。

これが社会というやつでしょうか。大して社会経験もないしょうがない男ではありますが、それを実感するのです。人間関係とはこんなにも絞られていくのか、と。

それで、考えてみればネットの中の方に人間が蓄積されているようにも思えます。
ネットにはいろんな人が貯蓄されていて、対面なら続かないようなそこそこの関係でも繋がれたままで、必要な時だけ交流することができますよね。

ネットの相手といえば、顔は知りませんというのも稀ではありません。顔を知らないネット上の相手。顔を知ったらどうしましょう、というのはよくある痴話話で。

人のことを外見で決めるとは、なんと浅はかなことでしょう。僕だってそう思います。まあ、外見と中身の因果関係ということであれば否定はしませんけれども。
中身を認めた上であれば、それで外見がなんだっていうのは余計な考えであります。

そこまで僕はなんの躊躇いもなく思えるのですが、ただ一つ。なんだか不安になってしまうような人の姿を見ると、僕は一歩引いてしまいます。
もっとちゃんと書くなら、儚げな腕や目つきから精神病を患っていることを予感してしまうと、僕は途端に腰が引けてしまうのです。

それで、どうして離れてしまいたくなるのかな、と。

第一に、その印象を持ってしまった以上、僕には付き合い切る気概が失われてしまっているのです。もし一歩前へ出るということがあれば、それは五歩も十歩も先までを約束しなくては人でなしで。それで僕はごめんなさい、ということすら言えないで、ゆっくりと後退りを始めているのです。

実際に精神的に参っているかどうかすら確かめません。探りを入れることにすら怖気付くのです。対等に付き合うとか、気を遣って付き合うとか。そうやってその人と向き合うことがもう偉そうで。目なんて見れませんから。
それでも、可哀想だとか思っているわけではないのですよ。いや、むしろ本当は付き合いをしてみたくて、積極的な気持ちが見つかると思うのです。

そこが厄介で、そうだからこそ退かざるを得ないのです。

これは前から自覚しているところなのですが、なんだかちょっと特別視している節があるのです。ああいう人らを。
それは見世物ということでしょうか。僕がそうしてしまっているのでしょうか。

やっぱりそれは考えれば考えるほど、考えることすらおぞましいことになるのです。

これが二つ目の理由です。そんな視線は失ってしまいたいのです。

SNS上で気になるアカウントを見つけて、なんだかいい雰囲気だな、と思ったとき。追いかけてみたら、そういう人の姿を見かけてしまうこともあるのです。というか、よくあるのです。

そんなことが起こるたびに、僕はやるせないのです。
誰か救ってくれないかな、なんて。あの精神に異常をきたしたあの子ではなくて、僕をです。

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