虫という生き物が、こんなにも人間社会にのさばっているというのはおかしいのです。
鼠や雀らがうろちょろしているのとは、訳が違います。
気が付けば腕にくっついていたり、あろうことか、人間の住処にまで侵入してきたりするのです。
これを御すことができないのは、虫が架空の生き物だからに違いありません。
幻覚で虫が見えるとは聞きますが、そもそも虫が幻覚だったのです。
虫が架空であることの根拠は、まだあります。
バナナムシという存在は知っていますか。
小学生の頃は近所の公園によくいたのですが、成人してからは一度も見たことがありません。
親子バッタやアゲハチョウなんかも見なくなりました。
あんなにたくさんいたアリやダンゴムシも、たまに思い出したように姿を見せるだけです。
コオロギは鳴き声だけで、やはりそこにいるのかは分からないのです。
僕のように真実に気が付くことができる大人の前には、虫はその姿を現さなくなっていくのでしょうか。
では、虫が架空の生き物であるということは何を意味するでしょうか。
それを生み出した存在がいるということです。
そして、おそらくその存在は人間ではありません。
全人類を対象に、生まれた瞬間から共有可能な幻覚を見せるなど、それこそ架空の技術です。
つまり、人類を超えた何者かによって、この超常現象はもたらされているのではありませんか。
その意図は明らかではありません。
しかし、いずれにせよ、人間がこの幻覚に対して無防備であるということは事実です。
敵か味方か、僕は正体不明のこの存在を“虫”と呼ぶことにします。
ある日、僕たちは本当の“虫”と出会うでしょう。
漂流ノート#7収録
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