脳みそメディア

最近覚えたことは何かなと、思い出してみると特に言葉が出てきません。

風止場というサイトを立ち上げ、その運営をするにあたって覚えたことは確かにあります。その他、雑多な知識も入ってきてはいますが、それを最近覚えたことというのは、何か少し違うのです。

というのも、何か人に共有して分かち合えるような、そんな何かが欲しいのです。瞬間ごとのその場での共有はあれど、思い返して、というのは最近めっきりありません。

それじゃあ、昔はあったかというと、ありました。泣いてしまったこと、素敵だと感じた景色、輝く日々。かなり断片的ではありますが、今でも人に話したいような出来事があります。

それは昔の時間を閉じ込めたアルバムのようで、そっと1枚の写真を見せてあげるのです。そしてまた、大切に戻したり、時にはそのまま託したり。そんなことを未だにしたいと思う一方、そのアルバムには最近の日付がありません。

なんだか脳の仕組みが変わってしまった気がするのです。
記憶とは、写真を撮ってアルバムにしまう行為のはずでした。それが、エクセルにデータを入力するような、そんな仕組みへと変わってしまった気がするのです。

とても効率的で、かつ、誰に見せても同じ数字で表せます。セルに数値を入れてやれば、計算結果が自動保存されます。しかし、法則に従った僕の脳の中身が、とても人と共有する気にはなれないのです。

いつから僕の脳みそは、単なる記録メディアに落ちぶれてしまったのでしょうか。それは恐らくですが、広大な世界の美しさに気づき始めた時からだと思います。

それまでは身の周りだけが世界でした。とても狭い世界でした。
近所を周って、パシャパシャと写真を撮っているだけで良かったのです。それが、その先に広がる世界を見つけてしまいました。そして、その世界にはあまりにも美しいものが多過ぎたのです。
その一つ一つを頭の内に留めようとした結果、それらを貧相に記録するだけの脳になってしまったのかもしれません。

これでは、ただデータベースだけが肥大化していき、人に見せられるような素敵な写真がありません。これこそ、最近の僕に降り積もる寂しさの正体でありました。
しかし、これは自然な選択の結果であって、受け入れるしかありません。むしろ、これからは意識的に写真を撮っていくことも検討できます。
その可能性が見つかっただけ良かったと思えます。

風止場という場所もあります。いつかまた、僕のアルバムが更新される日も来るのかもしれません。そう願っています。

風止場管理人

風を読み、言葉を紡ぐ。
思考と感覚の記録を残すための“風止場”を運営しています。
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