恐竜がいるのは過去か、現代か

あなたは時間遡行について、想像してみたことはありますか。

タイムマシーンに乗り込んで、眩い発光と轟音の中で揺られ、扉を開けるとそこには恐竜が支配する世界が広がっています。実験は成功しました。あなたは、過去の世界に来たと興奮を抑えられないでしょう。

これが時間遡行ということだと思いますが、違う例についても考えてみてください。

あなたが朝起きた瞬間に、神の力が授けられます。あなた以外の世界の全てを、一瞬という時間も要さずに、組み替えてしまう能力です。そして、あなたはこれを行使します。
さっきまで自宅の寝室だったはずの場所はジャングルのような風景に一変し、辺りを歩いているのはご近所さんではなく、恐竜たちなのです。

これは時間遡行だと思いますか。過去に戻ったと感じますか。
深く考えれば、そう言うこともできるかもしれない。でも直感的にはなんだか違うかもしれない。これが僕の感想です。

何が僕の判断を躊躇わせているのでしょうか。
二つのケースの差異とは、何なのでしょうか。

二つの世界の見た目に違いはありません。匂いも気温も、そこにいる恐竜も全てが一緒です。
あなたは、目の前の世界の状態に何の違いを感じることもできません。それでも過去に戻ったという実感と、現在の続きにいるという実感の差が生まれてしまいます。
違いを挙げるとすれば、経緯という自己内の記憶くらいでしょう。

つまり、世界の状態について僕たちは違いを指摘することはできませんが、自分の記憶を根拠に時間軸上の位置に差がある、と曖昧に言ってしまえるのです。

なぜ曖昧なのか。それは僕たちが時間上の位置そのものを見る、もしくは、触れるなどして知覚することはできないからです。
時間経過の感覚は確かにあります。三分くらい経ったかなとか、一時間くらい経ったかなということは感じ取れます。それが正確でないにしても時間経過、いわば時間の長さは認識できるのです。
ところが、時間上の位置、つまり座標はどうでしょうか。
今が2026年であることを体感できますか。あなたが生まれた時から世間が嘘を吐いていて、本当は2027年と呼ばれるべき時間軸上の位置にいるのかもしれません。あなたは時間上の位置を一年分ずれたものとして認識してしまうでしょう。少なくとも、体感だけではどうしても見抜けないのです。

距離はわかっても、時点はわからない。
あなたは時間という長い道を歩んでいるのです。歩いてきた道のりはあれど、その道のどの地点にいるのかはわからないのです。

では、普段はどのように座標を知ろうとしているでしょうか。
簡単な例で言えば、時計やカレンダーです。これらが2026年9月3日14:45という時間的位置情報そのものを身体へ伝達するのではありません。針や数字の状態から、位置を判断するのです。

他にも例えば、星の光を見たとします。
その星は四光年離れていて、現在のあなたが見ているのは四年前の星が放った光ということになります。逆に言えば、その星から地球を見ることができれば、四年前の人々の様子を覗き見ることもできるわけです。
これは光によって、現在まで届いた過去の情報を見ているのです。もちろん、四年前の過去に移動したわけではありません。
現在に存在する手がかりから、時間軸上の自分の位置を割り出すのです。

僕たちは当たり前のように時間を扱い、把握できているように振る舞っていますが、それはあくまで時間上の位置を間接的に知っているだけです。自分が認識している現在という時間上のただ一点に縛られ続けて、そこに存在する手がかりから高精度に時間的位置を推測しているというのが、僕たちの実状なのです。

では、その判断に使っている手がかりさえ失われたとしたらどうでしょう。
その操作が僕らの脳内にまで作用して、恐竜時代に戻ったのか、恐竜時代を再構築したのか、その経緯すら失われてしまったら、いよいよ過去か現在かの判断は不可能になるのでしょう。
時間は、僕がどの位置にいるかの答えを知っているかもしれません。しかし、僕がそれを尋ねる術はどこにもないのです。

僕はこんなことを書いて、人類の妄想を退屈にしたいわけではありません。むしろ、こういう屁理屈を掻い潜るような屁理屈で、妄想を広げてほしいのです。
僕はそれを楽しみたいのです。

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