例えば、電車の中で明らかに挙動不審な、それでいてみすぼらしいおじさんのことを見て、あれやこれやと嘲り合う。
いつも素っ頓狂な台詞しか言わない、変な髪型の女の子のことを楽しむ。
物凄く自然な流れで、否定する箇所など見当たらないような感覚の中で、何事もなく進む時間があります。
ただ、口には出さない苦い感情を舌の上で転がして、僕たちはそういった場面をやり過ごしています。
そんなとき、僕たちは軽薄な妄想と安心の自作自演を、無意味に帰す誰かの一言を必要としているのです。
しかし、その誰かは僕ではありませんし、その場にいる当事者の中に該当する人は一人たりともいないのです。
そして、僕らはその人を必要としていますが、その人が出てこようがこまいが、平然と時は流れます。
その場にいる誰でもない誰かを必要としているというのも、実際に誰かがやってくることを想定しているわけではないのでしょう。
これは誰かを必要としている、というところまでで完結しているのかもしれません。
考えすぎればすぎるほど、何かがおかしいという違和感ばかりが漂う日常です。
しかし、どこまでいっても思考の域を出ないのが、僕たちの生活なのです。
僕も誰も、違和感を解消する気はないのです。
それを抱えながら、平穏な時間を過ごしていくのです。