挨拶には色々とありますが、その中に不利な挨拶というものがあります。
僕が思うに、あの挨拶には勝ち目などまるで無いでしょう。
それは、「ただいま」という挨拶です。
「ただいま」とは、帰るべきところに帰ってきたときに使われます。
これと対をなすのが「おかえり」です。これは、帰ってきた人に対しての挨拶です。
そして、この二つの挨拶が対峙したとき、「ただいま」は圧倒的に不利な挨拶なのです。
では、実戦形式で勝負の行方を追ってみましょう。
まず、子供が家に帰ってきたとします。それを待ち受けるのは、母親です。
子供が先制攻撃を仕掛けます。「ただいま」と声高に放ちます。
これに母親は、「おかえり」と余裕の笑みを浮かべています。
このパターンでは、両者引き分けとなります。対等に挨拶が交わされているからです。
では、次の場面に移ります。
上京から早12年、人間関係に疲弊した男が帰郷します。
実家に戻る途中、あの頃と変わらない姿で庭の手入れをする好々爺と目が合いました。
好々爺は昔のままの口調で、「おかえり」と作業中の手を止めます。
男は涙ぐみながら言うのでしょう、「ただいま」と。
どうやらこれでも、決着はつかないようです。
それでは、三つ目の対戦を見てみましょう。
学校のチャイムが鳴り響き、学生たちが帰路についています。
そんななか、ある女学生が気立のいい婦人に声を掛けられます。
「おかえり」というその挨拶を受け取り、女学生は会釈だけして足早に去っていきました。
ここで初めて、人は返す言葉を、「ただいま」を失ってしまいました。女学生は、この挨拶を繰り出すことができなかったのです。
一体、なぜでしょうか。
それは、女学生がまだ完全に帰っていなかったからでしょう。
「おかえり」は、帰っている途中でも違和感なく言うことができるのに、「ただいま」は、そうはいかないのです。もう家が目前であれば帰ってきたも同然と判断し、素直に口に出せそうです。しかし、校門を出て直ぐのところで、「ただいま」とはいきません。その境界が曖昧なために、挨拶を迷ってしまうのでしょう。
ここに「ただいま」と「おかえり」の力関係が表れています。
それだけではありません。きっと女学生は、こうも考えたはずです。
「この人、誰だろう」。
これの何が不都合かというと、こういった相手に対して「ただいま」は、距離が近すぎるのです。
「おかえり」は、「おかえりなさい」という程よい距離感のある言い方が用意されています。それなのに、「ただいま」を丁寧な言い方にしてみると、「ただいま帰りました」という日常的に使えばぎこちなくなるほどの固さになるのです。
つまり、「ただいま」の方が言える相手が限定されてしまうのです。
使用できる場面、相手のどちらにおいても「ただいま」は劣っているのです。
ですから、対等に引き分けることはあれど、決して勝てない「ただいま」という挨拶は不利なのです。
挨拶はコミュニケーションの初歩であります。
そこにこんな罠が仕掛けられているなんて、これは日本語の悪戯なのでしょう。
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