注意書きとして、僕はいわゆる恋愛脳を鼻で笑うような人間です。今回はそれに関する話題を書こうと思っています。
恋は盲目と言いますね。恋愛に浸るように時間を過ごし、価値観をがらっと変えながら生きる人がいます。それに対して、すぐ落ち着いた関係に移行するような人もいます。僕はそちら側です。
こういう相反するような二人が共に過ごすとは、どういったことが起きているのか。恋愛脳に扮して、見える景色を想像してみました。
恋愛というものが動き始めて、互いに熱を分かち合うとは何ものにも代え難い体験となるでしょう。ところが、日を追うごとに相手から向けられる欲求は減っていきます。変化があれば、特に自分にとって好ましくない変化であれば、原因を考えるでしょう。自分に飽きられた、と考えるかもしれません。
恋愛脳をシミュレーションしてみると、それはなんだか人生そのものの構造に似ているような気がしてきます。僕と恋愛をしている間に、相手は生から死までを擬似的にやっているのかもしれません。
もちろん、そういう自覚を持ってやっているわけではないはずです。ただ、僕が大きく人生という時間の幅を見ている間にも、そういう人たちはコンスタントに人生を回しているかもしれない、と思うのです。
つまらないことにいちいち引っかかる必要はない、もっと有意義に行動すべき、そういうことが口から漏れるより先に、果たして本当に相手を測り得る定規を持ち合わせているのかを確認すべきかもしれません。
持っていなかったらどうしましょう。定規を新調するほかありません。それを持っている人に、よく見せてもらうのです。
これは自分と全く異なる人間を理解する、ということには繋がりますが、それがそのまま人生の豊かさに直結するとも思っていません。
他人を理解しようとしなくとも、豊かに生きることは可能だと思います。ただ、豊かに生きるために必要だと思う人のことが理解できないのなら、相手がどういう時間を過ごしているのか、考えてみるのも一つの手だと言えるでしょう。
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