迷惑でごめんなさい

ありがた迷惑、という言葉が受け入れられません。
過敏なほどに拒否反応を示してしまうのです。

ことの始まりは小学生の頃だったと思います。姉にそう言われた事実を覚えているのです。その時の感情か、今でも薄らと姉を嫌っている感情が結びついてしまったのか、ありがた迷惑という言葉自体に嫌悪感を抱いてしまいます。

そもそもこの言葉が伝えんとしていることは、“迷惑”です。相手に嫌な感情を伝えるときに使われます。
まあ、それ自体はいいのです。実際、相手も迷惑なことをしたのでしょうし、正直に伝えることが必要な時もあるでしょう。では、迷惑だと言えばいいのではありませんか。何故そこに、“ありがた”を付けるのでしょう。

これの目的は、きっと擁護です。
ありがたいけれど迷惑だよ、と言うことで、相手が好意でやっていることを認識しています、のアピールになります。自分は相手の好意を受け取ったうえで言っています、とすることで、相手も悪気があったわけじゃない、という反論の余地を無くしているのです。
ありがた迷惑と言う人で、ありがたそうにしている人は見たことがありません。“ありがた”に感謝の意は含まれておらず、自己擁護のための前置きになっているのではないでしょうか。

自分を擁護しながら、相手を擁護する気は見当たりません。なんて身勝手な言葉でしょう。
僕はこの言葉を辞書の中に封印しておくべきだと思います。

そもそも、好意を持って行ったことが真逆の効果をもたらしてしまうということは、認識のずれによって発生する問題のはずです。今までのお互いの関係から推測して、これを喜ぶだろうという結論が導き出されたわけです。
だとすると、この責任は互いに請け負うべきではありませんか。比重に差はあれど、どちらか一方だけが背負う問題とも言い切れないと思うのです。

自分の非を隠蔽するようにありがた迷惑と言うのは、やはりむかっ腹が立ってしまいます。あろうことか感謝している体裁をとり、自分をあげようという魂胆も感じられます。

それならせめて、ちゃんと「ありがとう」を言い切って欲しいのです。それだけで、僕の腹の虫は幾分か落ち着くのでしょう。
ということはつまり、僕は好意がかき消されたような感覚が気に食わないのだと思います。ありがたの四文字だけで済まされて、残ったメッセージが迷惑だけになるのが嫌なのでしょう。

さらに言えば、僕の方も好意を盾にしていた可能性が出てきます。
好意による行動だから、という押し切りで迷惑という事実を蔑ろにしてしまおうとしていたのでしょうか。好意という言葉の善性を利用して、非難されることから逃れようとしているのかもしれません。

だとすれば、僕もちゃんとごめんなさいと言うべきです。
相手がありがとうと言ってくれるといいですが、それを訴えるよりも僕が言うべきなのは、迷惑でごめんなさい。

風止場管理人

風を読み、言葉を紡ぐ。
思考と感覚の記録を残すための“風止場”を運営しています。
管理人について、は下のリンクから↓

風止場の続きを追う

Xでは、記事になる前の問いや景色などを発信しています。
RSSでは、新しい記事の更新を受け取れます。

風を残す

コメントする

目次