猛炎の人影

いま、僕は憧れを失ってしまっています。
憧れの対象が消えたわけではなく、憧れという枠がそもそも無くなってしまったのです。
その経緯について記していこうと思います。

二十歳前後の僕は、憧れに生きる人でした。
その身を燃やしながら真っ赤に空を染めていく太陽を、手が届くと信じながらひたすら追いかけました。そのときは確かに、その手に熱が伝わるほどの感触がありました。火傷するほどの熱ではありますが、それでも触れてしまいたくなるような、そんな熱でした。

ひたすらに追いかけるだけの日々を繰り返して、僕の手は太陽をかすめました。
憧れた存在と横に並び、同じ時間を過ごすことができたのです。まるで宇宙飛行のような、妙な浮遊感と緊迫感に包まれる初めての感覚。夢見続けた太陽が、今そこで輝いていました。逃しはしまいと、じたばたともがきました。

僕の目には確かに、燃え盛るあの恒星が映っていたはずなのです。なのですが、とある夜、彼は酒交じりに話してくれました。
酒のことから、喧嘩、警察、葉っぱだとか。
僕が見ていたのは、夢か幻か。はたまた、偽物か。あんなに強く輝いた太陽は地に落ちてきました。力強く高尚な存在は、僕ら人間と同じく地を歩いていました。人間の汚れに身を染めていました。

誰もが、人間でありました。
彼が悪いわけではありません。彼もずっと人間だったのですから。そこに憧れという虚像をあてがって、勝手に自爆したのが僕です。もしかすると、そこだけ切り取れば僕の方が輝きを放っていたのではないか、とも思えます。

そんなただの人間に、失望したかと言われると、正直に言えばその一瞬はそうでした。しかし、考えてみれば実体が人間であっただけで、その輪郭はまさしく僕が見た太陽そのものと変わりなかったはずです。
つまり、僕はそのまやかしを取り払い、人の輪郭を見るということを知ったわけです。

人の輪郭を知るということは、次に自分の輪郭を知ることになります。
ひたむきに追いかけてきた日々から一転、ひとつひとつ手で触れて確かめるように、僕は僕の輪郭をなぞるのでした。自分は誰で、誰にどう見えている自分なのか。答え合わせのような日々が続きました。

いわば粗熱が取れた僕は、今だからこそ熱を感じることができます。直視できないほどの太陽の猛炎は求めません。その向こうの、人影の体温を感じるのです。

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