僕は甘いマスクで踊っている

人と話しているときに、つい嬉しくなってしまう瞬間があります。
それは、甘えることに成功したときです。

少し調子に乗ってみたり、失礼なことを言ってみたり。
これが許されたとき、甘えることができたと実感して嬉しくなります。

甘えることで得られる実利が嬉しいわけではないのです。むしろ、そこには若干引け目を感じてしまうのです。
では何が嬉しいのかというと、甘えることができる関係を確認できたというところなのです。

そういった関係値を築けたとき喜びを覚えるわけですが、なんでこの関係にこだわって嬉しくなっているのかは、僕にもわからないのです。
理由が思い当たらず、きっと甘えることができなかったとか、誰かが甘えてる姿を羨ましく思ったとか。そんなことがあったのかもしれません。

とにかく、こういう関係の求め方というのは結構いろんな人にあるのかもしれません。
金魚の糞のような人や、氷の女王のような人も。
みんな、その結果自体を求めていたのではなくて、そういう関係値に執着してしまう理由があるのかもしれません。

つまり、何かをしたかった人ではなく、何かになりたかった人という見え方もあるのです。

まるで、すれ違う人たちが必死にマスクを被っているようにも見えてきます。だとすると、僕は甘いマスクを被っています。
そして、あなたはどんなマスクを手に取ったのでしょうか。

僕らはそんな舞踏会のような、戯曲的な世界を生きているのかもしれません。

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