僕が音楽活動をしていた頃、『トロン』というアーティストと共演する機会がありました。
僕の元来の趣味とは少し違っていたのですが、いいなと感じてしまい、妙に気になっていたアーティストでした。
それが先日、体制を変えて『杏享クテコ』として音楽活動を継続しているのを発見しました。何か音源があるか覗いてみると、「電脳」というアルバムが2026年6月にリリースされていました。「2D or not 2D」を見つけた時の僕が感じた、CG特有のワクワク感、それを感じさせるジャケットです。
一通り聴いてみたうえで、今回は「嘘の三八」という楽曲を取り上げていきます。
こういう楽曲をしっかりと聴くことは少なくて、分類するのならテクノポップというのでしょうか。囃子に合わせて、歌謡の雰囲気をまとったメロディが面白いです。テクノ囃子というのもいいと思います。
「嘘の三八」
タイトルの通りに嘘や冗談を織り交ぜながら、淡々と独り言をぶつけてくるような詩になっています。大阪弁も効いていて、彼らの物思いがドシドシと足音を立てながら、僕の頭に響いていくような感覚です。
冒頭から「色眼鏡で物みてくれたらええわ」と、呆れや皮肉が込められています。本当の彼らを勘違いしている人たち、分かってない人たちへの落胆が感じ取れます。
この期待外れな世間という真実を、彼らは否定することなく、一度受け止めます。
周囲が変わらないのは仕方がないとして、では、「どれも嘘ですわ」と開き直ることにしたのです。「あほなふり」をして本音を嘘に、悲しみを笑いに変換していくことを選んだのです。
これは誤解されることも、嘲笑されることも厭わないという姿勢なのです。
いかようにも、受け取られていい。そういう決意を持って、マイクの前に立っているのです。
つまり、彼らは嘘として受け取られることを想定していて、それで笑わせたいというわけですが、ここで面白いのが本音が随所に漏れていることです。
そして、本音を漏らしたあとすぐに「ボケですやん」、「嘘ですわ」と訂正をするのです。何を言っても嘘になると認識していながら、これは嘘ですと注釈を付けるわけです。最後に至っては、「嘘というテイで話すけど」、と嘘ではないことを仄めかしてさえいます。
彼らは望んでいるのです。
認めてもらうこと、憧れたこと、共感できること。そういった人間的な欲望に従っていたいのです。
嘘に徹することができず、その本音を歌ってしまう。これは彼らの弱さでしょうか。
そうとも言えますし、そう言わないこともできます。自分のその揺らぎを自覚して、曝け出せている。そう捉えることもできるのです。そこを決めるのはやはり、僕たちのような観衆なのです。
それでは、滲み出るほどの欲望を偽り続け、嘘で笑わせることの価値は何なのでしょうか。
これは僕にも経験のあることですが、そのような欲望の類というのは果たされない限り、強くそこに人を縛り付けるものなのです。
前へと進む力ともなりますが、一方で、その景色に釘付けになって、立ち尽くしてしまうほどの危うい魅力を備えてもいるのです。過去の甘美な時間に囚われたまま、それが叶うまでは人生の針が動き出さないということもあるのです。
杏享クテコが選んだのは、それを抱えつつ、今しかない人生を笑いで満たしていくことだったのではないでしょうか。
誰かに分かってもらえなくても、人生を棒に振って拝む景色よりも、悲しみに囚われることなく笑ったり笑わせたり、そうやって前に進めていく人生を選んだのでしょう。
「嘘の三八」では芸人の姿が歌われていますが、本質的なところをみれば、これが彼らのありたい姿なのだと思います。
本音は嘘へ、悲しみは笑いへ、過去は未来へ。
この変換に、彼らの表現の核を感じます。
タイトルのダブルミーニングや、再生時間、回文等々。
散りばめられた冗談や嘘を楽しみつつも、そこから漏れた本音にも耳を傾けてみるのはどうでしょうか。
息を吹き込む